第1位( ⇒ )
NHK総合・大河ドラマ「龍馬伝」テーマ音楽(佐藤直紀)第2位( △ )
NHK総合・連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」劇中効果音楽(窪田ミナ)第3位( △ )
NHK総合・大河ドラマ「龍馬伝」劇中効果音楽(佐藤直紀)第4位( ▽ )
坂本冬美「また君に恋してる」
♪1位1週、登場8週。第5位( ⇒ )
遊びでぃきらさ’z(あしびでぃきらさーず)“Hurry up ハーリー”
私が茨城から信州へ最初に訪れたのは、小学3年生の夏休み。北佐久郡立科町の実家に2晩泊まっています。父と信越本線・大屋駅で急行から降り、タクシーを使って立科まで行きました。着いたのは夕方頃だと記憶しています。歓待され夕食を食べていたその時でした。電話機が突然しゃべり出したのです(笑)。子供ながら この驚きは、恐怖に近いものがありました(笑)。電話機は受話器から静かにしゃべり出します。いきなり電話機自体が大声を出すとは、まさに驚天動地の出来事だったのです。親戚もびっくりしているのに気付いたのか、説明してくれました。「これは有線放送で、朝晩勝手にしゃべるんだよ」(笑)。その電話機は、案の定 翌朝も、大声でしゃべり出しました(笑)。恐る恐るその電話機を見てみると、ダイヤルはなく、代わりにスピーカの穴が開いていたのです。これが「有線放送電話」との出会いでした。
農事有線放送が広く普及したのは、ここ長野県そして沖縄県です。沖縄の場合、電話機能はなく「親子ラジオ」と呼ばれていました。受信した琉球政府内のラジオ放送や、独自のアナウンス放送を「親」ラジオ局から送信し「子」すなわち契約家庭の小さなスピーカーへ流します。そのスピーカーには、スイッチとボリュームしかありません。そして電気が不必要。「親」の通電で「子」のスピーカーが鳴ったのです。電力事情の悪かった頃、この点が歓迎され、終戦直後の米軍施政化で急激に普及します。最盛期は、沖縄県内で300局以上の親子ラジオがあったという話ですから、集落ひとつずつに、親ラジオ局は存在したほどです。しかし一般のラジオ・テレビ放送が広がっていき、現在では殆ど廃局しました。宮古島市池間島などで残っているだけです。長野県内の有線放送電話も、最盛期からだいぶ減りましたが、インターネット接続事業で生き残り、長野市などを中心に普及しています。
とにかく普段は沈黙しているのです(笑)。朝夕の決まった時間を中心に、突然メロディは流れ、放送が始まり、終了するとまた沈黙します。朝の放送が、目覚まし代わりの挨拶や農事情報。夕方の放送は、地域の話題などが多い様です。中にはリクエストを募ってDJをする放送所もあります。そして最大の特徴が「臨時放送」です。近隣の火災や気象警報。大雪による休校連絡。地元首長や議員選挙の開票速報など、放送しなければならない情報があれば、随時放送を開始します。この「臨時放送」こそ、有線放送電話の真骨頂と言うべきものです。
もちろん電話機能は、何時間話しても通話料無料。定額の使用料にコミとなります。そう言えば前述の小学生時代。親父が茨城から立科へ電話をかける時、立科有線の交換台に「上田からだけど繋いでくれ」と言っていました(笑)。茨城からだと言えば繋いでくれないらしく「上田から」と言うのは、一種のテクニック(笑)だった様です。電電公社と有線放送所の取り決めが、当時あったのでは? と推測しています。普段は沈黙し、時間が来た時、あるいは必要な時のみ放送する「有線放送電話」。すっかり目立たなくなってしまった そのシステムに、実はラジオ放送全体の根幹が潜んでいる気もします。
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