FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第495回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( ⇒ )
    abn テレ朝・ドラマ「警視庁捜査一課9係」劇中効果音楽 [吉川清之]
  2. 第 2 位 ( ⇒ )
    城南海 ~ きずきみなみ “Silence”
    NHK BSプレミアム・BS時代劇「薄桜記」主題歌
  3. 第 3 位 ( ⇒ )
    NHK総合・大河ドラマ「平清盛」テーマ音楽 [吉松隆]
  4. 第 4 位 ( ★ )
    バーブ佐竹「ててご橋」
    CS 時代劇専門チャンネル・時代劇「子連れ狼」主題歌
    ♪ 伝説の時代劇主題歌は、非常に美しい転調アレンジが味わえる佳曲。
  5. 第 5 位 ( ⇒ )
    Adele “Set Fire To The Rain”
    NBS フジ・ドラマ「息もできない夏」オープニング テーマ

 ラジオメディアの不況が続いています。人気があった東京のJ-WAVEは、昨年度決算が 4500万円の赤字。今年も 300万円の赤字です。大阪のFM802も昨年度は、なんと 2億円の赤字。今年度決算は、どうにか 4500万円の黒字を計上しましたが、ロスは吸収されず、両局共に経営が尋常でありません。局の人気と、経営状況が乖離を起こしています。

 一方JFNのキー局である TOKYO FM(エフエム東京)は、今年度 4億3472万円の黒字を計上しています。TOKYO FMには、高い内部留保(約230億)があり、経営は 安定しています。しかし、ミュージックバードを含め、例え各局の内政から発した泥でも被る覚悟をもって、全国JFN加盟局をリードしていかなければならない立場にあるのです。

 昔のFM東京は、全年齢層のリスナーを対象とした、極めて質の高い追従を許さぬ放送を続けていました。現在の様に、若年齢層へシフトしたオーディエンス・セグメント編成に舵を切ったのは、ある理由があったからです。それは 1985年12月のFM横浜 開局でした。FM横浜は、開局準備の段階から、従来の民放FMラジオ放送の概念を、根底から覆したのです。

 FM三重・FMぐんまが開局していたJFNは、FM横浜の開局が具体化した時に、FM横浜の出資者グループに、JFN加盟を勧めました。FM東京とエリアが重なっても、JFNから番組供給を受けたほうが、編成は楽ですし、経営安定の見通しもつきます。ところが、それを頑強に撥ね付けた人が、FM横浜の開局準備室にいたのです。小谷野修 という方でした。

 小谷野修 さんは、伊藤忠商事の流通企画部長を勤めていましたが、オイルショック絡みの大スキャンダル事件に巻き込まれます。平社員への降格を受け入れて、伊藤忠商事の警備員として働く道を選んだのです。その前代未聞の逆境に耐える姿をみていた、横浜の上野豊・上野運輸商会 社長(現在・横浜エフエム放送 代表取締役会長)に、小谷野さんは 引き抜かれます。

 その時 立ち上がり始めていたFM横浜の開局準備を、上野 社長から任されたのです。小谷野修 さんは、開局準備にマスメディアの助力を借りませんでした。横浜は 若者文化の街だから、それに似合ったFMラジオ局を作ろうと、米国のFM局のタイムテーブルを集める事から始めたのです。無垢なラジオに対する発想で 1からスタートし、独力で開局準備を押し進めます。

 そして あらゆるネットワークの傘下に入らず、完全に独立した県域FMラジオ局を開局させてしまいました。開局当時は“ SUN’S SUMMER STATION ”と題して、前代未聞の 17時間連続の英語放送を実施し、ステーションカラーを鮮明化。大野義和・山ノ井友司・帆足由美・山下くに子 の局アナ 4名に、徹底したワンマンDJによる平日の生ワイドを担当させました。

 特に平日 午前中が圧巻でした。タイムテーブルに朝ワイドの番組名が無いのです(笑)。月から水は 大野 アナ、木・金が 山ノ井 アナの担当とだけ明記されていました。午前 8時のFM横浜ニュースから、情報ゾーン と 音楽の繰り返しに、冠スホンサーのコーナーを挟んでいく、アメリカン ラジオ スタイルによる“ Morning Zoo Format ”を、FM横浜の朝に導入したのです。

 24時間 毎正時には、必ず横浜そごう提供の時報が流れ、FM東京が望星高校講座をオンエアーしていた夜間には、まるで在日米軍放送の様な、英語DJ番組を中心に据えました。月曜から金曜の午後 10時からは「ヨコハマ ラジオナイト」として、渡辺美里・佐藤竹善・谷村有美などを配した、オールナイトニッポンのFM版とも言えるフリーDJを、連日 生放送します。

 さらにジェット ストリームの真裏となる午前 0時からは、日本初のマスターミックス番組“MARUI 24 CLUB”をオンエアーしたのです。それも土日も含めた週 7日の全日放送でした。土曜夜は、3時間に渡り「サタディ電話リクエスト」を生放送。リクエスト数の集計で、オリジナルベストテンを発表するなど 斬新な編成を、FM横浜は 貫いていました。

 FM横浜は、聴取率的にも経営的にも、首都圏のラジオでFM東京を圧するほどの成功を修めます。このFM横浜の成功に多大なる影響を受けたのが、J-WAVE開局準備に携わる 横井宏 氏でした。小谷野修 FM横浜常務が創始した、JFN非加盟の独立FMラジオ局のコンセプトを、さらに進化させて、第2東京民放FM局 J-WAVEの成功に繋げていきます。

 小谷野修 常務は、J-WAVEの台頭に危機感を持ち、本社をランドマークタワーへ移転させ、FM横浜を「ハマラジ」と改称する第2の開局を決行します。ですが開発した若年齢層志向だけでは、ブレイクした J-WAVEの人気を抑える事は出来ず、第2の開局は 上手くいきませんでした。小谷野修 常務は、代表取締役副社長の地位で、FM横浜から去っています。

 私は当時、音楽業界誌「ミュージック・ラボ」で、小谷野修 常務の長文インタビューを読んだ事があります。文中 この発言が、今でも忘れられません。「横浜が若者の街だから、英語DJなど徹底した若者志向のラジオ局を作った。もしお年寄りが多い県なら全く逆の方法論を採った。」 小谷野修 常務のFM横浜コンセプトは、純粋にエリア人口動態から発していたのです。

 しかし、小谷野修 FM横浜常務が創始したコンセプトは、人口動態 関係なしに、未だ全国の県域FM局の編成ベースとなっています。もしTOKYO FMが、エフエム東京のまま、午後 6時半に望星高校講座をオンエアーするほど(笑)局のコンセプトを変えなかったら、少子高齢化社会を迎えた この 2012年に、ラジオ聴取率で全体トップになっていたかも知れません。

 現在ネットで小谷野修 さんの名前を検索しても、殆ど情報が出てきません。我が国 民放FMラジオの革命的先駆者だった 小谷野修 さんの存在が、確実に忘れられつつあります。されど小谷野修 元FM横浜常務取締役が開発した、若年齢層ターゲットのオーディエンス・セグメント編成は、少子高齢化社会の中で、身動きが取れないほど まだFMラジオ業界を支配しています。


ブログ開始は 2003年です。

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