FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第596回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( △ )
    竹内まりや「深秋」
    NHK総合・土曜ドラマ「芙蓉の人 ~ 富士山頂の妻」主題歌
  2. 第 2 位 ( ▽ )
    SBC TBS・月曜ミステリーシアター「ペテロの葬列」劇中効果音楽 [横山克]
  3. 第 3 位 ( △ )
    NHK総合・土曜ドラマ「芙蓉の人 ~ 富士山頂の妻」劇中効果音楽 [服部隆之]
  4. 第 4 位 ( ★ )
    NHK総合・大河ドラマ「軍師官兵衛」劇中効果音楽 [菅野祐悟]
    ♪ 和声が整った美的な劇伴佳曲があります。テーマ音楽と別途に 10日 第32回放送から使用を始めた劇伴がリスト対象です。
  5. 第 5 位 ( ▽ )
    NHK総合・連続テレビ小説「花子とアン」劇中効果音楽 [梶浦由記]

 今日は 69回目の終戦記念日です。日本でラジオ放送が始まったのは 1925年(大正14年)。その長い歴史の中で、我が国で最も重大なラジオ放送は何か? と問われれば、それは第2次世界大戦の終結を告げた『玉音放送』だと間違いなく断言出来ます。

 1945年(昭和20年)8月15日 正午から放送された、昭和天皇による終戦の詔勅朗読 いわゆる玉音放送は、毎年 日本武道館で行われる全国戦没者追悼式の黙祷の起点になるほど、その放送開始時刻が、戦争終結の一瞬として扱われています。しかし 終戦の日、8月15日のラジオ放送は それだけではありません。玉音放送の前もラジオは 放送していたはずです。

 私は 学生時代、この玉音放送の直前、いったい何が放送されていたのか大変興味がありました。あの暑い夏の日に何が流れていたのか? 放送史の大きな断片である、玉音放送直前の東京中央放送局(JOAK)の放送内容について、相当 私的に研究しました。まず 2冊の文献を入手しています。それは大宅壮一「日本のいちばん長い日」と、徳川夢声「夢声戦争日記」です。

 日本のいちばん長い日は、終戦決定の御前会議から玉音放送までの 24時間に渡り、玉音放送録音盤を奪取しようと陸軍省・近衛師団幹部が起こした、クーデタ未遂事件の顛末を克明に記したドキュメンタリーです。14日 深夜から 15日 早朝にかけて、宮内省 と 東京中央放送局(JOAK)は、反乱将校に占拠されましたが、断続的に放送が続いていました。

 それは、空襲(警戒)警報が発令だったからです。関東地区で空襲(警戒)警報が発令されると、東京中央放送局(JOAK)の放送は 中断され、放送を送出する権限が、日本放送協会から 東部軍司令部放送室に移ります。クーデタ未遂事件で、東京中央放送局(JOAK)が占拠された時は、空襲(警戒)警報発令中だったため、放送内容に影響が出なかったのです。

 その実際の放送については、当時最も人気の弁士・声優であった徳川夢声の 夢声戦争日記 に詳述してあります。徳川夢声は、当時のラジオ放送 特に空襲警報の内容を日記に記録していました。但し 夢声戦争日記は、放送文化誌 1955年(昭和30年)8月号に続マイク雑感として掲載されたオリジナルと、中央公論社から発行された単行本では、細部に違いがあります。

 占拠が鎮圧され警報も解除となった 15日 午前 7時21分、東京中央放送局(JOAK)は、玉音放送の予告を放送しています。ところが 8時32分に、また警報開始のブザーが鳴り空襲警報が発令されました。米英の連合国軍に日本が終戦を受け入れた事は、既に伝わっているはずです。ところが、監視目的か否か不明なまま、戦闘機の侵入が日本本土に続いていたのです。

 東京中央放送局(JOAK)に出入りしていたおかげで、終戦を事前に知っていた徳川夢声は、撃墜まで伝える空襲警報に、終戦が決裂したのではないのか? と不安を日記に書いていました。そして終戦当日 特に玉音放送に関しては、徳川夢声の他にも、多数の日記資料が存在します。それらの資料から玉音放送直前に、何が放送されていたのか鮮明になってくるのです。

 玉音放送 30分ほど前から、兵舎・学校・工場では整列の上、予め流されていたラジオ放送を、多くの人々が聴いており、内容を日記に記述した人が多数存在していました。その記述を総合すると、徳川夢声の空襲警報の記録は 文語体ですが、実際の空襲警報は解りやすく口語体が主でした。さらに夢声戦争日記では、玉音放送冒頭の記録が明らかに脚色されていたのです。

 また空襲警報では、放送の最後を 以上 と結ぶか、終了・時刻告知アナウンスが加えられていました。さらに玉音放送直前には、正午の時報も放送されています。当時の時報は、既に自動式になっており、予報音が30秒前から流れる大変長いものでした。となると夢声戦争日記に記載がありませんが、正午の時報の前には、ステーション コールも放送されていたはずです。

 これらを考慮の上で修正し、玉音放送の直前の放送を再録してみました。もちろん違っている点があるかも知れません。その後 新しい事実が解りましたら、その時点で追記・修正致します。我が国放送史上 最も重大なラジオ放送である「玉音放送」。その直前には、中断されたまま戦後 69年間 実質再開する事はなかった、第2次世界大戦 最後の空襲警報が放送されていたのです。

 1945年(昭和20年)8月15日

 午前11時45分

 「東部防衛司令部、横須賀鎮守府司令部発表。 8月15日11時。 1、敵艦上機 250機は 3波に分かれ 2時間に渡り、主として飛行場、一部交通機関、市街地に対し攻撃を加えました。 2、11時までに判明した戦果は 撃墜 9機 撃破 2機です。以上。」(沈黙)

 午前11時55分

 「目下、千葉・茨城の上空に敵機を認めません。千葉・茨城両地区、関東海面は警報発令中ですが、東部防空情報を一時中止します。ただ今時刻は 12時5分前でございます。」(沈黙)

 午前11時59分

 「ジェイ、オー、エイ、ケイ。こちらは、東京中央放送局であります。」
 (59分30秒から時報予報音が開始)

 正午(時報本報音)

 「ただ今より 重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様 ご起立願います。・・・」


ブログ開始は 2003年です。

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