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FM長野リスナーである、ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を発表・保存しています。

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ブロガー プロフィール

 1961年生まれの・・エー何才でしたっけ?(笑)。身長175cmで、体重80kg以上という往年の「渡辺徹」的体型(笑)。

 小学3年で「選挙開票速報」が好きになる → 異様な幼少期(笑) → 以降「翌日開票」の日は、学校をズル休み(笑)。未だに「開票速報」が、ラジオ・テレビ放送番組の中で一番好きです。という変り者なのです。

 小学5年の頃から、ラジオ音楽チャートに興味を持ち、洋楽・邦楽問わずノートへ記録し始めました。

 邦楽はQR文化放送で 佐藤やすし アナが担当していた、電話・はがきリクエスト・レコード売り上げ・ベストテン選定委員会の4部門を、当時珍しいコンピューターで集計する「全国歌謡ベストテン」。総合順位は、ベスト30まで発表していたため、B5の大学ノートに記録出来ました。

 洋楽は、同じくQR文化放送で、みのもんた アナと高橋千夜子 アナが担当していた「オールジャパンポップ20」。あの みのもんた アナが繰り広げる、高橋アナとの艶トークと、総合得点まで発表する、ランキングのシビアさが、渾然一体に融合していた画期的な(笑)洋楽チャート番組でした。

 洋・邦ミックスは、久米宏 アナと小島一慶 アナが担当していた「TBS今週のベスト10」。歌謡曲・久米 アナとポップス・小島 アナが、ベスト3・4 ~ 6位・7 ~ 10位・11 ~ 20位 のゾーンごとに、サイコロで対決(笑)。勝ったほうのジャンルの曲が多くオンエアされる、面白いシステムのチャート番組だったと記憶しています。このあたりから暴走気味(笑)にチャート記録を始めました。

 中学から大学にかけて、全国のラジオチャート番組を遠距離受信で流浪。北はHBC北海道放送から、南は福岡・RKB毎日放送まで、日本中のラジオ・チャート番組を記録し参加しまくりました。

 長年のチャート番組の記録を通じて、聴いてきた総曲数は、洋邦合わせて延べ10000曲を超えます。「山口百恵」とか「中森明菜」という名前は、1000回以上ノートやレポート用紙に書いている勘定。また洋楽はタイトル・アーティスト名を「原題」で表記しないと気が済まない癖有り。これも長年のチャート記録の習性でしょうか?(笑)

 この洋邦問わない流行曲の反復聴取の果てに得られた音楽の「調性感」は、私の財産でもあり、厄介な代物(笑)でもあります。通常のポピュラーソングを聴いても、歌詞はほとんど頭に入りません。アレンジで使用した楽器の旋法(モード)や音律が大変気になり、和音構成や旋律の流ればかり追ってしまいます。特に転調は大変敏感です。異常な転調には不協和音以上の拒絶反応(笑)。気分が悪くなる事さえあります(笑)。

 私の音楽の調性感こそ、このブログの「週間選曲リスト」選曲・順位決定基準の基礎をなしています。

 30年以上に渡ってコレクションしてきた、テレビ番組録画は、アナログVHSテープから、全てのデジタル化が完了。MPEGファイルの総数は1200を超えました。

 また同じくコレクションしてきたラジオ番組の録音テープも、全てのデジタル化が完了。mp3ファイルの総数は270を超えています。

 その中でも、テレビ番組の冒頭に、番組名・キャストやスタッフがクレジットされ、テーマ音楽を美しく象徴的に表現する映像の部分である「タイトルバック」録画が、400ファイル以上占めています。

 1991年4月に、茨城県北茨城市から長野県長野市へ移り、FM長野 リスナーとして『チャート★ドランカー』というラジオネームだけを、一貫して使用し続けています。2008年3月に、長野市から松本市へ転居しました。

 FM長野発行のタイムテーブルは、約20年間に渡り200枚以上をコレクション。FM長野の録音も多数デジタルファイルで所有しています。また放送送受信技術や放送法制を、独学ながら長年研究してきました。

 私が愛する理想のラジオ番組とは、まず1曲ごとの音楽を大切にオンエアする番組。そして、災害等の緊急報道へ、きちんと対応できる番組に尽きます。

 職業は、小さな会社の非常勤監査役。平成2年度の行政書士試験に合格。行政書士資格を有しています。私の人生の信条は、ラジオ・テレビに囲まれた「シンプル&スローライフ」なのです。生涯信州に住み、一(いち)FM長野 リスナーでありたいと願っています。

 私の詳しいラジオ・リスナー歴は、この後の『私が愛したラジオ番組とDJ達』に書いてありますので、ぜひお読み頂ければと思います。


 チャート★ドランカー 私が愛したラジオ番組とDJ達

 私は、30年以上全国のラジオを渡り歩き、数多くの番組を聴き続け、そして参加してきました。しかし振り返ると、常にリスナーに対して誠実で、独創的であったラジオ番組は、ほんのひと欠片だけでした。その素晴らしいラジオ番組を作り、そして支えた本物のDJ達。30年以上ラジオを聴き続けた、チャート★ドランカーが愛した本物のラジオ番組そしてDJは、現在まで次のわずか9人だけです。


 HBC北海道放送 Mr.デーブマン

 『ベスト10北海道』のパーソナリティ「Mr.デーブマン」(本名:高田文之)氏は、私にチャート番組の奥深さを教えてくれた「師匠」です。史上最強のヒットチャート番組は、月 → 金まで連日16時から放送。全道レコード売上げ・有線放送・番組への葉書リクエストを毎日独自集計。そのトータルポイントへ電話リクエストを30分おきに中間集計してポイント加減するなど、徹底したデータ主義で番組は構成。1位オンエア曲が、直後発表する「最終ランキング」で逆転され、2位に落ちる事もあるほと シビアなチャート番組です。部門別順位やポイントは全て放送で公開。毎日の「最終ランキング」はポイント集計され、土曜日に別番組で「週間ランキング」を発表。日曜には、洋楽ベスト20。年末には「年間ランキング」も発表します。

 この凄いチャート番組を、Mr.デーブマンは、連日余裕でこなしていきます。HBC社員アナ以上の力量があった Mr.デーブマンは、トークの切れもよく人柄も温厚。秋から翌春までの日没が早い期間は、東日本全域で聴取可能の為、道外リスナーも多く存在していました。当時毎日放送されるデータをひたすら記録するヘヴィ・リスナーの集まり「資料室」に、私も茨城から中学・高校時代、ラジオネーム「関東地区中央資料室」で 参加していたのです。茨城で受信できなかったデータは問い合わせると、HBCスタッフが丁寧に教えてくれます。特別に週間ランキング(キューシート)も毎週送って頂き大変お世話になりました。これらはデジタル化した番組録音と一緒に、貴重な放送資料として保存し続けています。


 IBC岩手放送 大塚富夫 アナウンサー

 ひとつの県内で20店舗以上のレコード売上げを独自集計し、毎週邦楽60位まで発表する『IBCトップ40』は、名実共に東北最大のヒットチャート番組です。私が聴いていた頃は、日曜午後4時間の生放送。これだけのチャート・データが放送されながら、極めてリスナーからの葉書投稿を大切にしていました。全てのオンエア曲のイントロに、リスナーの葉書からの詩やメッセージを繋いでいく、独自の曲紹介方式が、番組の大きな特徴でした。恋愛・悩みの葉書コーナーなど、番組全体がある種のストーリー性を持って、ラストの1位発表まで展開していく、全国的にもオリジナリティの極めて高いヒットチャート番組だったのです。

 大塚富夫 アナは、千輝順子 アナや戸田信子 アナと共に、10年以上この番組を担当。極めて高い朗読能力と、瞬発のトーク・センスで、このストーリーを作り上げて来ました。私は80年代後半、チャートデータとお笑いのパート「ベスト3予想人コーナー」で、ラジオネーム「茨城IBCトップ40資料室」として、2年近く没ナシ連続採用。大塚 アナには大変かわいがって頂きました。独創的で素晴らしい『IBCトップ40』の録音はデジタル化し、mp3ファイルで多数保存を続けています。


 RFCラジオ福島 鏡田辰也 アナウンサー

 長く茨城で生活してましたが、福島県境に近い街だったためか、子供の頃からの、地元ラジオ局といえば『RFCラジオ福島』でした。東北唯一のAMラジオ単営局であるRFCは、独特なカラーがあり、今でも「昼の希望音楽会」のテーマ音楽や「皆様お聴きの放送は、ラジオ福島の放送です。RFC。」という不可思議な(笑)ステーション・コールを聴くと、強い郷愁を感じます。1994年に社員寮で、女子アナの刺殺事件が起き、局のイメージは大きくダウンしました。他のアナも転籍が相次ぎましたが、看板の「鏡田辰也アナウンサー」は、RFCに残り、持前の明るさと優れた番組制作能力で、RFCを建て直しました。多様化する音楽嗜好を的確に反映した「少順位化」がキーとなる、新世紀のチャート番組の試金石とも言える「RFC ロックトーナメント」。さらに「音楽の快人 ~ RFCポピュラーTOP20」など、笑い重視の生ワイド担当とは違った、音楽番組制作の才能も評価できます。

 実は長野市内で、高性能のラジオならば、夜間RFC会津若松中継局の電波が受信可能です。そこでラジオネーム「温泉町のスナフキン」と名乗り「音楽の快人」に番組参加していました。人柄も温厚な鏡田 アナ。長野から参加というだけて感激され、グッズなども送って頂きました。私のラジオの原点である、RFCラジオ福島に関しては、残念ながら録音の保存が殆どありません。しかしタイムテーブルなどの放送資料は、大切に宝物として保管。そして鏡田辰也アナ自身が、今RFCの宝物となっています。


 FMぐんま 山崎寛代 アナウンサー

 私にとってのFMラジオのイメージは「FM東京」時代に培ってきました。今でも全ての世代に、良質な音楽を提供する事こそ、FMラジオ局の生命線だと信じています。1985年「FMぐんま」が開局した時、10素子アンテナで初めて聴く、県域民放FMに熱中しました。自社制作も少なかった開局当時、平日毎日22時から30分間放送の「群ゼミ・サウンドブレイク」は、初めて県域民放FM放送の楽しさを教えてくれた番組だったのです。地元予備校英語講師の新井康夫 氏とデビューホヤホヤの山崎寛代 アナとの掛け合い。それは英語DJであり、まるで漫才であり、そして葉書重視のリスナー参加番組でもある、従来にない不思議なFM番組でした。「FMぐんまニュースは高校野球の結果だけしか流さない」とか相当な事を言う新井氏を、明るく笑い飛ばす山崎寛代アナは、とても魅力があり、人気者になりました。

 AMがない群馬県唯一の県域ラジオ局として、FMぐんまが定着する基礎を作ったのは、山崎寛代 アナと言っても過言ではありません。私は山崎寛代 アナに恋していたため(笑)特に番組参加はしませんでしたが、当時のFMぐんまの録音はデジタル化。貴重な放送資料として、mp3ファイルで保存を続けています。山崎寛代 アナは、その後退社してフリーになり、TVワイドショーのレポーターとして活躍されました。現在出世して(笑)芸能コメンテーターとなり、全国ネットのワイドショーに出演し続けています。


 FM長野 山崎詠子 アナウンサー

 アナウンサーにとって、声質は重要なファクターです。FM長野を聴いていて、山崎詠子 アナの母性を包含した様な、魅力のあるボイスが、私は大好きでした。山崎アナ自身が好きだったロック音楽だけではありません。制作も担当していた持ち番組“Good Day Cruisin’”を、長く聴き続けていくと理解出来るのです。ジャンルを問わない、山崎 アナの音楽感性の深さは、地元局アナの中、文句なくトップでした。リクエストに答える形でも、サイレント・リスナーの聴取動向を考え、単純な曲調やタイトル語彙のイメージだけでなく さらに深く、まるで楽譜まで見通すかの様な選曲の配列も、さらっと決める事ができました。全国的にも数少ない音楽調性感を持った局アナのひとりが、山崎詠子 アナだったのです。

 そして山崎アナのリクエスト音楽を通して、リスナーと向き合う姿勢は、誠実で優しさにあふれていました。音楽に対する優れた感性と、リスナーに対する変質しない誠実さも有していた、山崎詠子 アナこそ、FM長野の放送全体を、美しく象徴していたのだと思います。しかし山崎詠子 アナは、1997年私がちょっとの間長野を離れていた間に、寿退社してしまいました。今でも残念でなりません。“Good Day Cruisin’”の数多くの録音は、デジタル化してmp3ファイルで保存。山崎詠子 アナの自筆でいただいた絵葉書も、大切な放送資料として保管しています。


 TOKYO FM DJ 赤坂泰彦

 赤坂泰彦 氏が本物のDJだと判ったのは、1993年7月12日、北海道南西沖地震の時でした。NHKの大津波警報より早く、まだ1年目の「ミリオン・ナイツ」生放送中だった東京のスタジオで、DJ 赤坂はスタジオ壁に掲示してある、非常用アナウンス原稿を、全国へ読み上げていました。津波で壊滅的な被害を受けた奥尻島や北海道西方沿岸地帯に、AIR-G’ (FM北海道)を通じ流れています。音楽ラジオ放送のために生まれてきた、DJ 赤坂泰彦は、ベテランアナでも難しい、高度な危機管理能力を有していました。音楽の知識を語るDJは、たくさん存在します。されど愚直なまでの音楽への愛情に裏付けられた、音楽の理解を語る放送人は、DJ 赤坂泰彦だけです。

 それ故、1997年9月30日、ミリオン・ナイツ最終回ラストのあの涙のメッセージは、絶対忘れる事が出来ません。後発番組編成の推移からも、あの時赤坂を切ってまで進む道だったのでしょうか? 今でも強い疑問を持ち続けています。めったにやらない事ですが、ミリオン・ナイツ終了後、私は16ページの励ましの手紙を、TFM経由でDJ赤坂宛て送りました。その後、FM長野 開局10周年記念番組にやってきたDJ赤坂に、リクエストFAXを送って、僅か30分で単独採用。さらに“THIS IS THE RADIO”でも採用され、計2回「チャート★ドランカー」というラジオネームをDJ 赤坂にコールしていただきました。この2回の録音はデジタル化し、mp3ファイルで大切に保存しています。


 RSK山陽放送 滝沢忠孝 アナウンサー

 中四国の瀬戸内海沿岸へ広く届く、岡山のRSKラジオは、音楽番組に力を入れる伝統がありました。全国的にも珍しい、日曜深夜の放送休止時刻前の生放送ワイド“SUNDAY BEST”は、1973年から29年間放送していた、人気洋楽番組です。私が聴いていた80年代後半は、滝沢忠孝 アナウンサーと学生アシスタントで、その後KSB瀬戸内海放送のアナウンサーとなった森田恵子 女史の時代でした。サンベスは、洋楽紹介だけではなく柔軟に番組を構成していました。サンベス・LMスタジオのコーナーでは、地元アマチュアバンドの演奏を取り上げたり、映画紹介のサンベス・シアターなど、地元スポンサーがしっかりついた個性的なコーナーもあったのです。

 私は「サンベス・ベスト10」のコーナーで、リクエスト葉書の紹介と共に、独特の抑揚で、洋楽ベスト20をカウントダウンする滝沢 アナが大好きでした。番組ではリスナーにランキングを「サンベス・ノート」として記録する事も勧めていました。その記録が年末一度だけ放送休止せず、朝5時まで終夜放送する「サンベス・オールナイト」で発表される年間チャート予想クイズの獲得ポイント計算に繋がるため、沢山のリスナーがノートをつけていました。それが洋楽の普及にも繋がっていったのです。サンベスの様な洋楽番組は、全国的にも類例を知りません。サンベスの録音はデジタル化し、mp3ファイルで所有放送資料として保存し続けています。


 RKB毎日放送 林幹雄 アナウンサー

 日本一リスナーに対して誠実な、尊敬できるアナウンサーと言っても過言ではありません。1974年から17年間、毎週日曜昼12時10分から5時まで、北部九州のヒット曲50曲が完全オンエアされる「RKBベスト歌謡50」を担当してきた林幹雄 アナは、九州を代表する名アナウンサーです。とにかく50位から順に、1曲ずつリクエスト葉書紹介と共に、全ての曲をオンエアしていきます。ベスト10は、フルコーラスでオンエア。さらに年末は、年間ランキングを100曲。100回ごとの記念では特番を1週間組み、第1回からの総トータル500位から1位まで、全曲オンエアーする「RKBベスト歌謡500」も放送されます。

 この凄まじいヒットチャート番組を、持ち前の美声とリスナーに対する誠実さで、林幹雄 アナお一人が17年間全て生放送してきました。私は、福岡の友人から毎週のランキング記録のコピーや、番組の録音テープ。さらにRKBから、一ヵ月の順位が全て記載してある月刊の「ランキングニュース」を頂いていました。そして秋から春にかけては、夕方から可能になる直接受信をし、リアルタイムでも聴いていたのです。林幹雄 アナの「RKBベスト歌謡50」を毎週全部聴く事ができた、北部九州リスナーの方は、本当に幸せだったと思います。友人の記録コピーや、RKBから頂いたランキングニュースは、大切な放送資料として保存しています。


 KBC九州朝日放送 沢田幸二 アナウンサー

 時報明けのオープニングが好きでした。“Return Of The Dragon”の曲にのせて、沢田幸二 アナが その日の出来事をマシンガン・トークで毒舌する、あのセンスのいいオープニングは忘れられません。KBCラジオ平日夜の生ワイド「PAO~N(パオーン)ぼくらラジオ異星人」は、沢田幸二 アナの独壇場というべき超人気番組でした。番組には、大変レベルの高い地元現役大学生が、スタッフやアシスタントで参加。特にラビット弥七こと浦山 くんは、九州の高田文夫と言っても決して過言ではないトークセンスを持ってました。当時の沢田 アナは、普段少しシャイな感じです。しかし一旦スイッチが入ると、1分間200ワードと公称していた(笑)毒舌が生放送で炸裂します。

 沢田黄門と弥七が福岡の高校の校門を叩いて回る「キャンパス漫遊記」。相当強烈な替え歌投稿テープをランキング形式で放送してしまう「リクエスト・わけありベスト10」など、私も相当ラジオ番組を聴いてきましたが、これほど斬新な発想のコーナーは、PAO~Nだけでした。沢田幸二 アナは、今もKBCラジオの看板アナとして活躍。キャンパススタッフからは、中島浩二 氏を始めとする地元九州のDJ・放送スタッフが輩出しました。PAO~Nは、多くの録音をデジタル化し、mp3ファイルで所有。そして、沢田 アナの生サイン入り番組本「おだまり!2」も、放送資料として保存しています。

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 ここは長野県松本市に在住している、FM長野リスナー「ラジオネーム:チャート★ドランカー」の個人ブログについて、基本的な説明や資料を掲載している「ベーシックリスト」ブロガー プロフィール のページです。

 ラジオ・テレビ放送音楽に関する私の評論が、5曲ごとの選曲そして順位で表現された「週間選曲リスト」と、ラジオ・テレビ番組のレビューやデータ、さらに身辺雑記を交えた「週間放送視聴日記」により、この個人ブログを構成しています。

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 週1回「定点観測」の積み重ねから、FM長野を始めとする信州のラジオ・テレビ放送の歴史を、このテキストブログで、ゆるやかに紡いでいく事が出来れば、嬉しい限りです。

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