FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第568回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( ⇒ )
    NHK総合・大河ドラマ「軍師官兵衛」テーマ音楽 [菅野祐悟]
  2. 第 2 位 ( △ )
    桜井美南「今かわるとき」
    テレビ東京・ドラマ24「なぞの転校生」オープニング テーマ
  3. 第 3 位 ( ⇒ )
    akiko “Beyond the moon”
    NHK総合・ドラマ10「紙の月」挿入歌
  4. 第 4 位 ( ▽ )
    ビリーバンバン「これが恋というなら」
    三和酒類 iichiko テレビCMソング
    ♪ 1位 5週、登場17週。
  5. 第 5 位 ( ⇒ )
    abn テレ朝・木曜ドラマ「緊急取調室」テーマ音楽 及び 劇中効果音楽 [林ゆうき]

 東京のAM局であるLFニッポン放送の周波数は 1242KMzです。それから僅か 9KMz差の 1251KMzに、夕方から夜間になると非常によく聴こえる放送局が、1970 ~ 80年代に毎日出現していました。それは、旧ソ連の日本向け国際ラジオ放送「モスクワ放送」。極東のウラジオストクから、1000KWという超ハイパワーで放送されていたのです。

 ラジオというのは、電池・電源が無ければ動きませんが、実は電池・電源が無くても動くAMラジオがあります。ゲルマニウムラジオ(ゲルマラジオ)といって、空中の電波がアンテナと接する際に発生する僅かな電気を利用し、送られてくる電波の力で給電してしまう原始的なラジオです。もちろん大きなアンテナがないと給電出来ず、地元AMラジオ局でも受信出来ません。

 私は茨城に住んでいた頃、ダラっと垂らした細巻リールのアンテナ線程度で、夜間モスクワ放送が ゲルマラジオで聴こえた事がありました(笑)。ニッポン放送は、千葉県木更津市から、出力 100KWで送信していますが、この程度のゲルマラジオ アンテナでは 都内でもない限り聴こえません。1000KWという送信出力が、いかにハイパワーなのかを物語っています。

 当時のモスクワ放送は、ソビエト社会主義共和国連邦のプロパガンダ(宣伝)放送でした。ソ連は 良い国で、西側諸国が ダメなのか(笑)夕方 5時から 深夜まで、手を替え品を替え 延々とレクチャーが続きます。ニュースも 音楽番組も、総てプロパガンダ(宣伝)が目的です。但し延々といっても風変わりな編成をしており、1回の放送が 30分から 45分と短いのです。

 インターバル・シグナルである、ドゥナエフスキー作曲「祖国の歌」の冒頭 2小節をチャイム化した曲が流れると、放送開始アナウンスがあって 番組に入ります。番組が終わると きちんと放送終了アナウンス。1分ほどの無音部があっても 送信は止まらず、また「祖国の歌」のチャイムが流れ、また律儀な放送開始アナウンスと別番組。このサイクルを 1日何回も繰り返します。

 この「祖国の歌」のチャイムは、国内向け全連邦第1放送の開始時にもオンエアーされており、毎年 5月 1日に赤の広場で行われた、メーデーパレードの開始時に 同じチャイムが、モスクワ・クレムリン宮殿前の赤の広場全体に流れていました。ちなみに全連邦第2放送は、このブログでも紹介した「Mayak(マヤーク)」。開始音楽は、モスクワ郊外の夕べです。

 モスクワ放送の数ある日本語番組の中で、私が忘れられないのは、夕方 5時の 1回目の放送で、ニュースの後に流れていた「ソ連の平日」という番組でした。「ローマの休日」というオードリー・ヘプバーンの有名な映画がありますが、全く真逆な発想で(笑)いかにソ連に住む人達は、平日に共産主義の理想を目指し、真面目に働いているかを長々と紹介する内容なのです。

 この「ソ連の平日」という番組タイトルだけで、モスクワ放送全体を象徴出来ると思います。また「聴取者の手紙から」と題したリスナーからの手紙紹介番組は、手紙の紹介よりも、返事の教示に殆ど費やしていました(笑)。ただ文化大革命の頃の北京放送など、共産・社会主義諸国の対外宣伝放送に比べ、洗練された印象をモスクワ放送から 受ける事ができたのも事実です。

 モスクワ放送が圧巻だったのは、通常の番組よりも書記長クラスの要人が亡くなった時の特別編成でした。当時のソ連の国内放送は、党中央の書記長クラスの要人が亡くなると、いきなりニュース速報が出ません。予告なく番組が変更されクラシック音楽が長時間放送されます。ソ連国民にトップ要人の訃報を受け止める体勢が出来、その後で臨時ニュースが流れるのです。

 日本向けのモスクワ放送も特別編成となり、ニュース と クラシック音楽放送だけとなります。この放送されるクラシック音楽が、素晴らしい選曲で実に荘厳でした。モスクワ放送の真骨頂は、トップ要人逝去の時しか味わえません(笑)。この点からも モスクワ放送のスタンスとは、教条的思想を植えこむと言うより、ソ連邦の雄大さが解れば佳しだと、私は 感じていました。

 その証拠として、80年代の番組編成が挙げられます。週末の最終番組に「ミッドナイト・イン・モスコー」という、レクチャー抜きの人気音楽番組や、月末の最終番組には「ヒットテン・イン・モスコー」と題したモスクワ放送のヒットチャート番組を放送する域まで、日本向けのモスクワ放送は達するのです。但し、こっそり放送しているような編成でしたが(笑)。

 モスクワ放送に受信報告や手紙をエアメールで出すと、必ず丁重な返事が届きますが、綺麗な絵葉書タイプのベリカードなどの他に、日ソ友の会の入会案内や、次の手紙は モスクワ放送東京支局へ送ってくださいとの リーフレットが同封されていました。このモスクワ放送東京支局というのが、謎の存在でした(笑)。なぜか民間マンションの一室が指定されていたのです。

 モスクワ放送東京支局の所在地が、ソ連大使館内でなく、同じ麻布狸穴町の民間マンションの一室とは、不可思議な気持ちにさせられました。モスクワ放送東京支局が、ソ連情報機関の分室ではないかと妙な好奇心を覚えた事もあります(笑)。また日ソ友の会の入会案内を読んでみると、ソ連邦の宣伝目的の割には、しっかり入会金や会費納入を求めていたのには苦笑しました。

 時は流れ 1991年にソ連邦は崩壊し、モスクワ放送も「ロシアの声」と局名が変わりました。日本向け放送は、遂に昨年末AM中波放送を打ち切り、プーチン 大統領の整理命令により、ロシアの声は廃止になるそうです。ソチ冬季五輪が まもなく開催されるロシアでは、旧ソ連時代から続く世界最大の国際ラジオ局だったモスクワ放送が、静かに終焉の時を迎えていました。


(追記) 週間放送視聴日記(2022年 3月 4日)に、ウクライナラジオの戦時番組編成 を掲載しました。


ブログ開始は 2003年です。

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