FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第949回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( ⇒ )
    Noel Gallagher’s High Flying Birds “We’re Re On Our Way Now”
  2. 第 2 位 ( △ )
    BUMP OF CHICKEN「なないろ」
    NHK総合・連続テレビ小説「おかえりモネ」主題歌
  3. 第 3 位 ( ▽ )
    くるり feat.Antonio Loureiro “Humano”
  4. 第 4 位 ( ▽ )
    Kitri “NEW ME”
  5. 第 5 位 ( ★ )
    all at once「マカロン」
    テレビ東京・ドラマプレミア23「シェフは名探偵」オープニングテーマ
    ♪ 旋律に類似例がありますが、調性に工夫を聴き取れます。

 2028年秋を目処に、全国の民放AM局がFMへ移行する流れは、ほぼ本決まりとなりました。詳しくは 東京夏季五輪の後の週間放送視聴日記で詳報するつもりです。10年前 そして 20年前には、思いも寄らなかったAMラジオのFM化が実現します。思いも寄らなかったと書きましたが、20年前あたりには、イベントラジオ局の置局という兆候が、少しだけあったのです。

 1998年の長野冬季オリンピックの時、開催期間中にFMラジオ臨時放送局を開設する構想が持ち上がりました。企画の中枢には、FM長野(長野エフエム放送)ではなく、AM局のSBC信越放送が参与していたのです。その後のイベントラジオは、FM と AMが協調する場面もありましたが、既存FM局が第2波を持ってしまう事に抵抗があったのも事実です。

 当時のイベントラジオは、長くて数日間、送信出力も 1W程度という、いわゆる実験放送局の類いでした。ところが「長野オリンピックラジオ」は、根本的に違っていたのです。放送期間は、開催前から閉会日までの 40日間もありました。長野・白馬・軽井沢・松本の 4ヵ所に送信所・中継所を設置して、最大出力 100Wで送信する、類例なきイベントラジオ局だったのです。

 私は当時 長野市民で、スピードスケート会場のMウェーブから信号二つ先(笑)のところに住んでいました。当然長野オリンピックラジオのサービスエリア内です。試験電波発射の段階から、突如として新しい県域FM局が出現したかの様でした。78・5MHzで、凄くクリアなFM放送が受信できたのです。但し時間限定で、開催期間中は、朝 6時から夜 9時までの放送でした。

 長野オリンピックラジオは、日本語・英語・フランス語で、会場周辺の交通情報・駐車場情報や気象情報。競技日程の紹介や競技結果速報を中心に放送する組織委員会の公式ラジオ局でした。最大の問題は、競技中継が出来ない点でしたが、出来る限り結果速報に実感を加えて、毎日 15時間の生放送を、若里にあった長野市フルネットセンターのスタジオから行っていたのです。

 長野オリンピックラジオの最大の見せ場は、閉局停波の時でした。閉会式の様子を最後のニュースとして伝え、突然その時がやってきます。淡々と 周波数・出力を紹介し、離別の挨拶と共に、BGMとして流していた五輪公式メッセージソングが終奏した瞬間に閉局すると宣言しました。そして 3ヵ国語でコールサインをアナウンスし、BGMが終奏した 23秒後に停波したのです。

 長野冬季五輪閉会式終了から僅か 1時間ほどで、長野オリンピックラジオは、役割を終え閉局し、その後、78・5MHzから強力な電波が発射される事は、二度とありませんでした。この潔さ と 喪失感は、私の長いラジオリスナー歴でも、強く印象に残っています。そして この閉局時の録音は、私のラジオ番組コレクションとして、デジタルファイル化し、今も保存しています。

 その後、2005年 愛知万博などで大規模イベントラジオ局は運営されましたが、なぜかAMのFM補完中継の時代に入り、姿を消しました。今回の東京夏季五輪でも、大規模イベントラジオ局開局の予定はありません。このコロナ禍の中、日本で開催されたオリンピックを想う時、長野冬季五輪の 長野オリンピックラジオ という臨時放送局が脳裏に浮かんでくるのです。


ブログ開始は 2003年です。

Search

Mail-form


 ご愛読者(拍手)ボタンがあります。