FM長野 リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

Basic List

   
公開 : 

 団塊の世代より、さらに後(笑)ゆとり世代より、ずっと前(笑)の 4月28日生まれ。身長 175cmで体重 80kgの腰痛持ち(笑)。

 小学3年で「選挙開票速報」が好きになる → 異様な幼少期(笑) → 以降「翌日開票」の日は学校をズル休み(笑)。未だに「開票速報」が ラジオ・テレビ放送番組の中で一番好きです。という変り者なのです。

 小学5年の頃からラジオ音楽チャートに興味を持ち、洋楽・邦楽 問わずノートへ記録し始めました。

 まず邦楽は、QR文化放送で佐藤やすし アナが担当していた、電話・はがきリクエスト・レコード売り上げ・ベストテン選定委員会の4部門を当時 珍しいコンピューターで集計する「全国歌謡ベストテン」。総合順位は ベスト30まで発表していたため、B5の大学ノートにキッチリ記録出来ました。

 洋楽は、同じく QR文化放送で、みのもんた アナと高橋小枝子 アナが担当していた「オール ジャパン ポップ20」を記録していました。

 あの みのもんた アナが繰り広げる高橋 アナとのドラマティックな艶トークと、総合得点まで発表するランキングのシビアさが渾然一体に融合していた画期的な(笑)洋楽チャート番組でした。

 洋・邦 ミックスは、久米宏 アナと小島一慶 アナ が担当していた「TBS 今週のベスト10」もノートへ記録していました。

 歌謡曲・久米 アナとポップス・小島 アナが、ベスト3・4 ~ 6位・7 ~ 10位・11 ~ 20位のゾーンごとにサイコロで対決(笑)。勝ったほうのジャンルの曲が多くオンエアーされる面白いシステムのチャート番組でした。全ては小学生の頃の話です(笑)。

 このあたりから暴走気味(笑)にチャート記録を始めています。

 1970年から2000年代にかけて毎週 いや 毎日、ラジオでは数多くのヒット チャート番組が放送されており、私は 全国のラジオ チャート番組を遠距離受信で流浪しました。

 北は HBC 北海道放送から、南は 福岡・RKB毎日放送まで、日本中のラジオ チャート番組を記録し そして参加しまくり、私は 1週 6 ~ 7番組を約 30年間 記録してきたのです。

 記録の際にベスト10の楽曲は、少なくともワンコーラス、必ずラジオから聴いた事となります。その通算聴取曲数は概算してみると、延べ 10万曲(回)を超えています。

 「山口百恵」とか「中森明菜」という名前は、1000回以上ノートやレポート用紙に書いている勘定になります。また洋楽は、タイトル・アーティスト名を「原題」で表記しないと気が済まない癖有り。これも長年のチャート記録の習性でしょうか?

 この強制的(笑)な反復聴取の果てに、曲を聴いても歌詞は頭へ入らず、和声構成や旋律の流ればかり追い、アレンジで使用した楽器のモード(旋法)や音律に やたら鋭敏となる、私の「音楽和声感」「音楽調性感」が出来上がってしまったのです。

 楽器の音を細かく聴き分けられますが、異常な転調には 不協和音以上の拒絶反応を起こし気分が悪くなる事もある、やっかいな調性感が身に付きました(笑)。

 私の「音楽和声感」「音楽調性感」は、このブログの「週間選曲リスト」選曲・順位決定基準のベースになっています。

 30年以上に渡ってコレクションしてきたテレビ番組録画は、アナログVHSテープから全てのデジタル化が完了。録画ファイルの総数は 1700を超えました。

 また同じくコレクションしてきたラジオ番組の録音テープも、全てのデジタル化が完了。録音ファイルの総数は 1200を超えています。

 その中でもテレビ番組の冒頭に番組名・キャストやスタッフがクレジットされ、テーマ音楽を美しく象徴的に表現する映像の部分である「タイトルバック」録画が 900ファイル以上を占めています。

 この動画コレクションからも解る通り、私の音楽嗜好は 楽曲の編曲(アレンジ)を大変重視してきました。このコレクションの過半数以上が、インストゥルメンタルなど楽器だけの演奏による器楽曲です。

 父の実家は、長野県北佐久郡立科町。母の実家は、福島県いわき市。幼稚園は私立でしたが(笑)小学校から大学まで茨城県の国公立を通しました。

 1991年4月に 茨城県 北茨城市から長野県 長野市へ移り、FM長野 リスナーとして『チャート★ドランカー』というラジオネームだけを一貫して使用し続けています。2008年3月に 長野市から松本市へ転居しました。

 茨城に住んでいた子供の頃から東京新聞。松本で暮らしてから中日新聞を愛読。それ故に中日ドラゴンズのファンみたいです(笑)。

 FM長野 発行のタイムテーブルは、約 25年以上に渡り 300枚以上をコレクション。FM長野の録音も多数デジタルファイルで所有しています。

 また放送の送受信技術や放送法制を、独学ながら長年勉強してきました。 ラジオ リスナーとして、ここまでする人は いないかも知れません(笑)。

 愛用しているラジオは、チボリオーディオ モデルワン(Tivoli Audio Model One)です。さらに現在住んでいるマンションのベランダに、垂直偏波に対応した屋外FMアンテナを設置しています。

 私が愛する理想のラジオ番組とは、まず 1曲ごとの音楽を大切にオンエアーする番組。そして災害の緊急報道や選挙などの速報報道に、きちんと対応できる番組に尽きます。

 平成2年度の行政書士試験に合格。行政書士資格を有しており、その資格を生かした職業に就いています。

 私の人生の信条は、ラジオ・テレビに囲まれた「シンプル&スローライフ」なのです。生涯 信州に住み一(いち)FM長野 リスナーでありたいと願っています。

 私の詳しいラジオ・リスナー歴は、この後の『私が愛した ラジオ番組とDJ達』に書いてありますので、ぜひ お読み頂ければと思います。


 チャート★ドランカー 私が愛した ラジオ番組とDJ達


 私は、30年以上全国のラジオを渡り歩き、数多くの番組を聴き続け参加してきました。しかし 振り返ると、常にリスナーに対して誠実で独創的であったラジオ番組は、ほんの ひと欠片だけでした。

 その素晴らしいラジオ番組を作り、そして 支えた本物のDJ達。30年以上ラジオを聴き続けたチャート★ドランカーが愛した本物のラジオ番組そしてDJは、現在まで次の僅か 9人だけです。


HBC北海道放送 Mr.デーブマン

 『ベスト10ほっかいどう』のパーソナリティ「Mr.デーブマン」(本名:高田文之)氏は、私に音楽チャート番組の奥深さを教えてくれた「師匠」です。

 史上最強のヒット チャート番組は、月 → 金まで連日16時から放送。全道 レコード売上げ・有線放送・番組への葉書リクエストを 毎日 独自集計。そのトータル ポイントへ電話リクエストを30分おきに中間集計してポイント加減するなど、徹底したデータ主義で番組は構成されていました。

 1位オンエアー曲が直後発表する「最終ランキング」で逆転され、2位に落ちる事もあるほとシビアなチャート番組です。

 部門別順位やポイントは、全て放送で公開。毎日の「最終ランキング」はポイント集計され、土曜日に別番組で「週間ランキング」を発表。日曜には 洋楽ベスト20。年末には「年間ランキング」も発表します。

 この凄いチャート番組を Mr.デーブマンは、連日 余裕でこなしていきます。

 HBC社員アナ以上の力量があったMr.デーブマンは、トークの切れもよく人柄も温厚。秋から翌春までの日没が早い期間は 東日本全域で聴取可能の為、道外リスナーも多く存在していました。

 当時 毎日放送されるデータを ひたすら記録するヘヴィ・リスナーの集まり「資料室」には、私も 茨城から中学・高校時代の頃、ラジオネーム「関東地区中央資料室」で参加していたのです。

 茨城で受信できなかったデータは問い合わせると、HBCスタッフが丁寧に教えてくれます。特別に週間ランキング(キューシート)も毎週送って頂き大変お世話になりました。デジタル化した番組録音と一緒に貴重な放送資料として保存し続けています。


IBC岩手放送 大塚富夫 アナウンサー

 ひとつの県内で 20店舗 以上のレコード売上げを独自集計し、毎週 邦楽 60位まで発表する『IBC トップ40』は、名実共に東北最大のヒットチャート番組です。

 私が聴いていた頃は、日曜午後 4時間の生放送。これだけのチャート・データが放送されながら、リスナーからの葉書投稿を大切にしていました。

 全てのオンエアー曲のイントロに、リスナーからの詩やメッセージの朗読を乗せていく独自の曲紹介方式が 番組の大きな特徴でした。

 恋愛・悩みの葉書コーナーなど番組全体が ある種のストーリー性を持って、ラストの1位発表まで展開していく、全国的にもオリジナリティの極めて高いヒットチャート番組だったのです。

 大塚富夫 アナは、千輝順子 アナや戸田信子 アナと共に 10年以上に渡って この番組を担当。極めて高い朗読能力と瞬発のトーク・センスで、このストーリーを作り上げて来ました。

 私は 80年代 後半、チャートデータとお笑いのパート「ベスト3予想人コーナー」で、ラジオネーム「茨城IBC トップ40資料室」として 2年近く没ナシ連続採用。大塚 アナには 大変かわいがって頂きました。

 独創的で素晴らしい『IBC トップ40』の録音はデジタル化し MP3ファイルで多数保存を続けています。


RFCラジオ福島 鏡田辰也 アナウンサー

 長く茨城で生活してましたが、福島県境に近い街だったためか、子供の頃からの地元ラジオ局といえば『RFC ラジオ福島』でした。

 東北唯一のAMラジオ単営局である RFCは 独特なカラーがあり「昼の希望音楽会」のテーマ音楽や「皆様お聴きの放送は ラジオ福島の放送です。RFC。」という不可思議な(笑)ステーション・コールを思い出すと強い郷愁を感じます。

 1994年に社員寮で女子アナの刺殺事件が起き、局のイメージは大きくダウンしました。他のアナも転籍が相次ぎましたが、看板の「鏡田辰也アナウンサー」は RFCに残り持前の明るさと優れた番組 制作能力で RFCを建て直しました。

 多様化する音楽嗜好を的確に反映した「少順位化」によるチャート番組の試金石だった「RFC ロックトーナメント」。さらに「音楽の快人 ~ RFCポピュラーTOP20」など、笑い重視の生ワイド担当とは違った音楽番組制作の才能も魅せました。

 実は長野市内で高性能のラジオならば、夜間にRFC会津若松 中継局の電波が受信可能です。そこでラジオネーム「温泉町のスナフキン」と名乗り「音楽の快人」に番組参加していました。人柄も温厚な鏡田 アナ。長野から参加というだけて感激され グッズなども送って頂きました。

 私のラジオの原点であるRFC ラジオ福島に関しては、残念ながら録音の保存が殆どありません。しかし タイム テーブルなどの放送資料は、大切に宝物として保管。そして 鏡田辰也アナ自身が RFCの宝物となっています。


FMぐんま 山崎寛代 アナウンサー

 私にとってのFMラジオのイメージは「FM東京」時代に培ってきました。今でも全ての世代に良質な音楽を提供する事こそ、FMラジオ局の生命線だと信じています。

 1985年「FMぐんま」が開局した時、10素子アンテナで初めて聴く県域民放FMに熱中しました。

 自社制作も少なかった開局当時、平日22時から30分間放送の「群ゼミ・サウンド ブレイク」は、初めて県域民放FM放送の楽しさを教えてくれた番組だったのです。

 地元予備校 英語講師の新井康夫 氏と、デビュー ホヤホヤの山崎寛代 アナとの掛け合い。それは英語DJであり、まるで漫才であり、そして葉書重視のリスナー参加番組でもある、従来にない不思議なFMラジオ番組でした。

 「FMぐんまニュースは、高校野球の結果だけしか流さない」とか相当な毒舌の新井 氏を、明るく笑い飛ばす山崎寛代 アナは、とても魅力があり人気者になりました。

 AMがない群馬県 唯一の県域ラジオ局としてFMぐんまが定着する基礎を作ったのは、山崎寛代 アナと言っても過言ではありません。

 私は、山崎寛代 アナに恋していたため(笑)特に番組参加は しませんでしたが、当時のFMぐんまの録音はデジタル化。貴重な放送資料として MP3ファイルで保存を続けています。

 山崎寛代 アナは、その後 退社してフリーになりTVワイドショーのレポーターとして活躍されました。現在出世され(笑)芸能コメンテーターとして 全国ネットのワイドショーに出演し続けています。


FM長野 山崎詠子 アナウンサー

 アナウンサーにとって声質は重要なファクターです。FM長野を聴いていて、山崎詠子 アナの母性を包含した様な魅力のあるボイスが、私は大好きでした。

 山崎 アナ自身が好きだったロック音楽だけではありません。制作も担当していた持ち番組“Good Day Cruisin’”を、長く聴き続けていくと理解出来るのです。ジャンルを問わない山崎 アナの音楽感性の深さと音楽和声感・調性感は、地元局アナの中で文句なくトップでした。

 リクエストに答える形でもサイレント・リスナーの聴取動向を考え、単純な曲調やタイトル語彙のイメージだけでなく、さらに深く まるで楽譜まで見通すかの様な選曲の配列も さらっと決める事ができました。

 全国的にも数少ない優れた音楽和声感・調性感を持った局アナのひとりが、山崎詠子 アナだったのです。山崎アナのリクエスト音楽を通してリスナーと向き合う姿勢は、誠実で優しさに あふれていました。

 音楽に対する優れた感性と、リスナーに対する変質しない誠実さも有していた山崎詠子 アナこそ、FM長野の放送全体を美しく象徴していたのだと思います。しかし 山崎詠子 アナは、1997年に寿退社してしまいました。FM長野のその後の推移から振り返っても、ターニングポイントの様になってしまい残念でなりません。

 “Good Day Cruisin’”の数多くの録音は、デジタル化してMP3ファイルで保存。山崎詠子 アナの自筆でいただいた絵葉書も、大切な放送資料として保存しています。


TOKYO FM DJ 赤坂泰彦

 赤坂泰彦 氏が本物のDJだと判ったのは、1993年7月12日 北海道南西沖地震の時でした。

 NHKの大津波警報より早く、まだ1年目の『ミリオン・ナイツ』生放送中だった東京のスタジオで、DJ赤坂はスタジオ壁に掲示してある非常用アナウンス原稿を、いち早く全国へ読み上げていました。津波で壊滅的な被害を受けた奥尻島や北海道 西方沿岸 地帯に、AIR-G’ (FM北海道)を通じ流れています。

 音楽ラジオ放送のために生まれてきたDJ 赤坂泰彦は、ベテラン アナでも難しい高度な危機管理能力を有していました。

 音楽の知識を語るDJは、たくさん存在します。されど愚直なまでの音楽への愛情に裏付けられた音楽の理解を語る放送人は、DJ 赤坂泰彦だけです。

 それ故 1997年9月30日 ミリオン・ナイツ 最終回ラストで放送された あの涙のメッセージは、絶対忘れる事が出来ません。後発番組編成の推移からも、あの時に赤坂を切ってまで進む道だったのでしょうか? 今でも強い疑問を持ち続けています。

 めったに やらない事ですがミリオン・ナイツ終了後、私は 16ページに渡る励ましの手紙を、TFM経由でDJ赤坂宛て送りました。

 その後 FM長野 開局10周年記念番組にやってきたDJ赤坂にリクエストFAXを送って、僅か30分で単独採用。さらに“THIS IS THE RADIO”でも採用され、計2回「チャート★ドランカー」というラジオネームを、DJ赤坂に コールして頂きました。この2回の録音はデジタル化し、MP3ファイルで大切に保存しています。


RSK山陽放送 滝沢忠孝 アナウンサー

 中四国の瀬戸内海 沿岸へ広く届く岡山のRSKラジオは、音楽番組に力を入れる伝統がありました。

 全国的にも珍しい日曜深夜の放送休止 時刻前の生放送ワイド“SUNDAY BEST”は、1973年から 29年間放送していた人気洋楽番組です。

 私が聴いていた 80年代後半は 滝沢忠孝 アナウンサーと、学生アシスタントで後にKSB瀬戸内海放送アナウンサーとなった 森田恵子 女史の時代でした。

 サンベスは、洋楽紹介だけではなく柔軟に番組を構成していました。地元アマチュアバンドの演奏を取り上げる サンベス・LMスタジオのコーナーや、映画紹介のサンベス・シアターなど、地元スポンサーが しっかりついた個性的なコーナーもあったのです。

 私は「サンベス・ベスト10」のコーナーで、リクエスト葉書の紹介と共に独特の抑揚で、洋楽ベスト20をカウントダウンする滝沢 アナが大好きでした。

 番組では、リスナーにランキングを「サンベス・ノート」として記録する事も勧めていました。

 その記録が 年末一度だけ休止せず朝 5時まで終夜放送する特番「サンベス・オールナイト」で発表される年間チャートの予想クイズを解く獲得ポイント計算を可能にするため、沢山のリスナーがノートをつけていました。それが洋楽の普及にも繋がっていったのです。

 サンベスの様な洋楽番組は、全国的にも類例を知りません。サンベスの録音はデジタル化しMP3ファイルで所有。放送資料として保存し続けています。


RKB毎日放送 林幹雄 アナウンサー

 日本一リスナーに対して誠実な尊敬できるアナウンサーと言っても過言ではありません。

 1974年から17年間 毎週日曜 昼12時10分から5時まで、北部九州のヒット曲 50曲が完全オンエアーされる『RKB ベスト歌謡50』を担当してきた 林幹雄 アナは、九州を代表する名アナウンサーです。

 「RKB ベスト歌謡50」は、50位から順に 1曲ずつリクエスト葉書紹介を交えながら、50曲総てをオンエアーしていきます。

 ベスト10は フルコーラスでオンエアー。さらに年末は 年間ランキングを 100曲。100回ごとの記念では特番を1週間組み、第1回からの総トータル 500位から1位まで全曲オンエアーする「RKBベスト歌謡500」も放送されます。

 この凄まじいヒットチャート番組を、持ち前の美声とリスナーに対する誠実さで、林幹雄 アナお一人が 17年間全て生放送してきました。

 私は、福岡の友人から毎週のランキング記録のコピーや番組の録音テープを送ってもらってました。さらにRKBから 1ヵ月の順位が全て記載してある月刊の「ランキングニュース」を頂いていました。そして秋から春にかけては、夕方から可能になる直接受信をし リアルタイムでも聴いていたのです。

 林幹雄 アナの「RKB ベスト歌謡50」を 毎週全て聴く事ができた北部九州リスナーの方は、本当に幸せだったと思います。友人の記録コピーやRKBから頂いたランキングニュースは、大切な放送資料として保存しています。


KBC九州朝日放送 沢田幸二 アナウンサー

 時報明けのオープニングが好きでした。和声感抜群な“Return Of The Dragon”の曲にのせて、沢田幸二 アナが その日の芸能ニュースや出来事をマシンガン・トークで毒舌する、あのセンスのいいオープニングが忘れられません。

 KBCラジオ平日夜の生ワイド『PAO~N(パオーン)ぼくらラジオ異星人』は、沢田幸二 アナの独壇場というべき超人気番組でした。

 番組には、大変レベルの高い地元現役大学生が、スタッフやアシスタントで参加。特に ラビット弥七こと浦山 くんは、九州の高田文夫と言っても決して過言ではないトークセンスを持ってました。

 当時の沢田 アナは、普段少しシャイな感じです。しかし一旦スイッチが入ると、1分間 200ワードと公称していた(笑)毒舌が生放送で炸裂します。

 沢田黄門と弥七が 福岡県内の高校の校門を叩いて回る「キャンパス漫遊記」。相当 強烈な替え歌 投稿テープを ランキング形式で放送してしまう「リクエスト・わけありベスト10」など、私も沢山のラジオ番組を聴いてきましたが、これほど斬新な発想のコーナーはPAO~Nだけでした。

 沢田幸二 アナは、今もKBCラジオの看板アナとして活躍。キャンパススタッフからは、中島浩二 氏を始めとする地元九州のDJ・放送スタッフを輩出しました。

 PAO~Nは、多くの録音をデジタル化しMP3ファイルで所有。そして沢田 アナの生サイン入り番組本「おだまり!2」も放送資料として保存しています。


ブログ開始は 2003年です。

ブログ内 検索

独自のサーチエンジンで
対象リストを即時表示します。

G U I D E

 長野県 松本市 に在住している、FM長野 リスナー「ラジオネーム:チャート★ドランカー」の個人ブログです。

 お読み頂き ありがとう ございます。ご愛読者の皆様には、心から感謝申し上げます。

 ここは、ブログの基本説明を掲載している『 ブロガー プロフィール 』に関する Basic List のページです。

 このブログでは、次の2つのコンテンツを、毎週1リストにまとめて公開・保存しています。画像に依存しないテキストブログです。

 「週間選曲リスト」では、ラジオ・テレビ放送音楽に関する私の評論を、5曲ごとの選曲と順位で、象徴的に表現しています。

 「週間放送視聴日記」には、徒然なるままな身辺雑記を織り交ぜながら、オールラウンドなラジオ・テレビ番組のレビューやデータが掲載されています。

 広告等は一切表示しないポリシーで、ブログ開始時から運営しています。デザイン総てがオリジナルの自作です。

 週1回「定点観測」の積み重ねで、FM長野を始めとする信州のラジオ・テレビ放送の歴史を、この小さなブログで、ゆるやかに紡いでいく事が出来れば嬉しい限りです。