FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第807回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( ⇒ )
    BS Dlife・ドラマ「コールドケース ~ 真実の扉」メイン テーマ(ピアノ ヴァージョン)[村松崇継]
  2. 第 2 位 ( △ )
    NHK総合・土曜時代ドラマ「赤ひげ」劇中効果音楽 [音楽制作者 不詳]
  3. 第 3 位 ( ▽ )
    NHK総合・大河ドラマ「西郷どん」テーマ音楽 [富貴晴美]
  4. 第 4 位 ( △ )
    NHK総合・土曜ドラマ「不惑のスクラム」劇中効果音楽 [岩代太郎]
  5. 第 5 位 ( ★ )
    Sia “Alive”
    Honda テレビCMソング
    ♪ FM長野で複数回オンエアーされている 転調のキレが独特な佳曲。

 本社演奏所や本局送信所の地理的配置、さらに独特のコールサイン呼称など、全国のJFN加盟局の中でも FM長野は、放送研究の価値があるユニークな存在です。旧郵政省による県域民放FM局の電波割り当てが 長野県にあったのは、1982年10月27日。175件の免許申請調整は、月日を要しましたが、1987年 8月25日 申請一本化に合意しました。

 そして総意の元で、長野エフエム放送株式会社が 同年11月12日に創立。FM長野は、翌1988年10月 1日に開局しています。私は、信州の中心に位置する美ヶ原高原(2031メートル)の王ケ頭にある 美ヶ原 本局送信所が、全国のFMラジオ本局送信所の中で、最も地理的に優れた位置にあると考えています。但し 近距離地域は、山岳事情が影響するのです。

 FM長野の本社演奏所 と 本局送信所の距離は、約 11キロほどですが 直線ラインを追うと、送信伝搬が、僅かに尾根の突端部・王ケ鼻の陰で隠れ、障害が出てしまいます。そこで松本市 岡田町の茶子望主山に反射板を設置。本社演奏所からのSTL波(3・436GHz 10W)は、反射板に向かって送信し、その反射波を本局送信所へ届ける 独特な送信を採用しています。

 また本局送信所からの放送波は、県内 9ヵ所の中継局でエア受けをしています。松本 中継局の場合、約 8キロの距離を 5素子 1段 1面で受信し、ダイホールアンテナにより 垂直偏波で再送信します。特にFM長野の中継局は、開局以来 音質劣化を避けるため、復調せず再送信している大きな特徴があります。FM長野は、他局との比較でも音質が優れたラジオ局なのです。

 プレス発表されたFM長野の基本理念に基づき、開局当時の自社制作番組は、アナウンサーがディレクターも兼務で自ら調整卓を操作し、アメリカンDJスタイルで放送していました。当時は、月曜から金曜まで 5日間連続 約 2時間の生ワイドを、アシスタント と アルバイトひとりずつだけの体制でオンエアー。コストをかけず、FM長野の草創期を一生懸命支えてきたのです。

 長野エフエム放送 沿革にも まとめてありますが、その後のFM長野の番組編成方針は、この開局から数年間に培った原資を費やしていきながら、役員構成の変化にスライドする様に、FM長野のステーションカラーが変遷していきました。振り返っても、創立費用を一気に償却し、なおかつ大きな原資を留保出来た開局から数年間は、まさしく長野エフエム放送の躍進期でした。

 これからの地方における単営ラジオ局の存在価値は、道州制も念頭に サービスエリア内全体の公益へ、どう立脚するかで決まります。広域ラジオ放送の一員である事を念頭に、存在価値を維持するため営利活動をし、安定経営に努める放送事業会社であるべきなのです。災害などの緊急報道や選挙結果の いち早い報道など、重要なニュースの速報性の維持は、FM長野に不可欠です。

 それ故 普段から緊急ニュースの素早い送出や、将来まで続く広域ラジオ放送網を見据えた、JFNとの連携強化が なによりも必要です。特に音楽放送を主体とするFMラジオ放送局の定時ニュース報道は、国内・国際そして広域エリアの情勢も含めて、FMラジオの定時ニュースを聴くだけで事足りる様に、ヘッドラインを出来る限りコンパクトに伝える事も大切です。

 FM長野ニュースは、これらの要素が常に満たされるべきなのです。松本市に本社演奏所が在するFM長野は、ラジオ放送の本旨である第1次情報報道の迅速性・信頼性を損なわないために、地域・年代に こだわらない多くのエリア内リスナーの聴取習慣を維持すべく、良質の音楽番組を放送し続ける使命があります。ネット番組を中心に、この本旨を忘れない事が重要なのです。

 また長野県の人口動態は、全国平均と比較しても高齢化が進んでおり、当然長野県をサービスエリアとするラジオ局は、人口動態を重視しなければならないはずです。安易なターゲット層を絞った稚拙な番組制作は、ターゲット外の絶対多数のリスナーが、ラジオそのものから離脱させる結果に繋がりかねません。オーディエンス・セグメント編成ではラジオを救えないのです。

 信州に移り住む前月の 1991年 3月から、私は定期発行されたFM長野の「番組表」(タイムテーブル)を収集・保存し続けています。その数は 現在 250部を超えました。開局時である 1988年10月 第1号など、初期のタイムテーブルも、改編期ごとにコピーを入手し所有しています。また戦後のラジオ放送の歴史に関する資料も数多く保存を続けています。

 私は、ラジオ放送に対して、全国にいるヘヴィなリスナーとは 違ったスタンスを 心に持っています。ラジオ放送局は、放送局である以前に、国から免許を受けた「無線局」であるという認識です。呼出符号であるコールサイン(JOZU-FM)が存在するのは、FM長野が国から許可を受けた無線局だからに他なりません。無線局とは何かを、まず考察するべきなのです。

 このブログ、特に送信解析 FM長野にも書いていますが、私がFM長野を長年愛聴している根本の理由は、佐渡島から茨城・大阪に至るまで受信可能であるFM長野が、国から許可を受けた無線局として、送信伝搬の優秀性を有しているからです。広域ラジオ放送の一員であるFM長野は、まさしく定点観測つまり長期間モニタリングしていく価値のあるラジオ放送局です。

 FM長野を取り巻くラジオメディアが、合併や放送番組の同一化もあり得る峻烈な転換期を迎える事は 避けられないかも知れません。国土強靭化の大義の元に、AMラジオ局のFM補完放送も、ほぼ全国的に整備されました。アベノミックスが演出した好況の中でも、経営困難になった時に、県域をまたぐ広域ラジオ放送が可能になる法令整備は、既に完了しているのです。

 FM長野も これから未来へ向かい、放送体制も 番組形態も DJも 勤める社員さんも そしてリスナー自身も、ゆっくりと確実に入れ替わっていく事は避けられません。ですが その中で私は、数少ない長期間入れ替わらないリスナーとして、健康である限り、これからもレベルの高い音楽番組を、FM長野を中心とした音楽ラジオ放送から聴き続けていきたいと考えています。


ブログ開始は 2003年です。

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