FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第226回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( △ )
    NHK総合・木曜時代劇「柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い」劇中効果音楽 [梅林茂]
    ♪ シリーズを通して打楽器を重用した劇伴は素晴らしいです。
  2. 第 2 位 ( △ )
    Swing Out Sister “Secret Love”
    花王化粧品 テレビCMソング
  3. 第 3 位 ( ▽ )
    柴咲コウ「ひと恋めぐり」
    SBC TBS・愛の劇場「砂時計」主題歌
  4. 第 4 位 ( ⇒ )
    工藤静香「雨夜の月に」
    NBS 東海テレビ・ドラマ「麗わしき鬼」主題歌
  5. 第 5 位 ( ⇒ )
    NHK総合・大河ドラマ「風林火山」テーマ音楽 [千住明]

 最近の銃犯罪の激増は、異様な社会疲弊の兆候です。17日に起きた 愛知県の立てこもり事件は、とうとう警察官の犠牲者が出てしまいました。この事件で驚いたのは、犯人が立てこもりの最中、地元FM局のDJを名指しの上、事件について語りたい と言い出した事です。警察・局編成部長立ち会いの元、約 30分間も電話で、DJ と 犯人は、実際に会話を交わしました。

 その地元FM局は“ZIP-FM”。DJは「ジェイムス・ヘイブンス」氏と伝えられています。穏やかな音楽放送メディアであるはずのFMラジオ放送が、凶悪犯罪に登場した事自体が異常です。ZIP-FMのヘビーリスナーを“ZIPPY”(ジッピー)と呼称していますが、重罪容疑者まで、熱烈な“ZIPPY”だったとは、深い浸透度を思い知らされました。

 FM長野の開局は、1988年10月 1日ですが、全く同じ日に、東京のJ-WAVEも開局しています。「モア ミュージック・レス トーク」という斬新な編成原論が象徴的な、FM横浜成功の影響を強く受けた J-WAVEの開局時編成は、当時の社名である 株式会社エフエム ジャパンの横井宏・編成部長 と 常行邦夫・編成課長、このふたりに託されていました。

 当時のFMfan誌に掲載された、ふたりの開局準備の対談記事を、私は 読んでいます。その記事を読んでいて、とある文章に釘付けとなりました。「1日 24時間を ひとつの番組にするのが理想」。今までのFMラジオ放送 番組編成の考え方を超越する発想でした。その後 開局時タイムテーブル案が発表され、J-WAVEの番組編成に対する驚きは、さらに深まります。

 音楽を シャワーの様にオンエアーする。平日は、朝からCM無しで 30分間音楽だけを流す“NON STOP POWER PLAY”を 7本放送。1日の大半が生放送。夕方帯で電話リクエスト生ワイド。そして 日曜日 午後は、4時間のカウントダウン番組。しかも 100位まで。ラジオフリークとしても、チャートマニアとしても、信じられない様な編成でした。

 あらゆるジャンルの音楽を、時報・法定アナウンスだけを交えて、東京タワーから試験電波として流し、今でも「日本最高の音楽放送」だったとの声がある J-WAVEの試験放送。そして放送免許が降り、サービス放送 第1日目の朝に、J-WAVEが流した“Headline News”を、最初に聴いた時の雷に打たれた様な感動は、生涯忘れる事が出来ません。

 まさかラジオニュース と 音楽が、ここまで融合出来るとは思いませんでした。開局 18年を経た今でも使用されている“Headline News”のサウンドステッカーは、世界のラジオニュース・テーマ音楽の最高傑作だと思います。このJ-WAVEを大成功させた開局時編成は、100曲カウントダウンも含めて、そのまま大阪のFM802にも引き継がれます。

 J-WAVEを創り上げた横井 氏 と 常行 氏ですが、この後 運命は分かれました。横井宏 氏は、J-WAVEを退職して、衛星デジタル音楽放送「セントギガ」の編成局長となりました。月齢や日の出・日没、潮の満ち引きに基づき選曲し、音楽 と 自然音だけを 24時間 1番組として生放送。世界音楽放送史上 最大の実験と断言でき得る衛星ラジオ放送を開始します。

 横井 氏 と セントギガは、全国のラジオ局で初めて、オンエアー曲を決定管理する「選曲部」という部署を設けるほど、音楽放送を極めようとしました。しかしセントギガは、余りにも前衛的実験的な内容でした。私が 唯一聴取料を払った有料ラジオ放送なのですが、聴取者は伸び悩み失敗。開局から 3年後に、横井宏 氏は急逝します。仕事に追われた故の末期ガンでした。

 一方 常行 氏は、京都の α-STATIONの編成部長に紹聘されます。そこで全ての正式番組名を定めない「24時間ワンフォーマット編成」の壮大な実験をします。当時のタイムテーブルは、1週間をトンネルの様な絵にし、所々コーナーの刻み目が書かれていただけでした(笑)。しかし、大きな成果はなく、α-STATIONは 通常の番組編成へ回帰します。

 常行 氏が 次に紹聘されたのが、名古屋のZIP-FMでした。そして取締役編成局長 兼 制作部長であった、開局 9年目に もう一度 24時間ワンフォーマット編成 へ挑戦します。日曜 午後に 小林克也 氏が担当する“ZIP HOT 100”以外、全ての番組を廃止してミュージック ナビゲータ(DJ)に任せる、改編率 97%の革命的大改編を断行したのです。

 しかし スポンサーが付いて来れずに失敗。常行 氏は、2004年にZIP-FMを退社。24時間ワンフォーマット編成は、僅か 2年で廃止されます。それでもリスナー と ステーション、リスナー と ミュージック ナビゲーター(DJ)の徹底した結びつきは、ZIP-FMに残りました。常行 氏は、このZIP-FMで、J-WAVEからの完成型を示しています。

 「1日 24時間を ひとつの番組にするのが理想」。横井宏 氏は、セントギガで、常行邦夫 氏は、ZIP-FMで、ラジオ音楽放送の最も進化したフォーマットを、現実の放送として具現化しました。そして、ZIP-FMで常行 氏と共に歩み、開局時から採用されている、ただ1人のミュージック ナビゲーター(DJ)が、ジェイムス・ヘイブンス 氏だったのです。


(追記) 週間放送視聴日記(2012年 8月24日)で、我が国 民放FMラジオの革命的先駆者だった、 小谷野修 FM横浜 元常務取締役 について掲載しました。


ブログ開始は 2003年です。

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