FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第336回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( △ )
    Linkin Park “New Divide”
  2. 第 2 位 ( ▽ )
    YUI “again”
    SBC MBS・アニメ「鋼の錬金術師 ~ FULLMETAL ALCHEMIST」オープニング テーマ
  3. 第 3 位 ( △ )
    SBC TBS・日曜劇場「官僚たちの夏」劇中効果音楽 [佐橋俊彦]
  4. 第 4 位 ( ★ )
    abn テレ朝・木曜ミステリー「科捜研の女」劇中効果音楽 [川井憲次]
    ♪ 同じ和音構成を繰り返しながらアレンジで変化をつける、独特な和声と調性を有した秀逸劇伴。
  5. 第 5 位 ( ▽ )
    NHK総合・大河ドラマ「天 地 人」テーマ音楽 [大島ミチル]
    ♪ 1位 5週、登場28週。

 今週は「不二家歌謡ベストテン」についてです。このブログにも簡易なアクセス解析が入っており、専用サーバを使用する官公庁から ご訪問された場合は、どこの官庁か? 解る仕組みになっています。総務省・防衛省・厚生労働省に、ご愛読されている方が いらっしゃいます。感謝申し上げる次第です。そして先週 遂に「内閣総理大臣官邸」からアクセスがありました。

 もちろん検索エンジンからの一見さん(笑)ですが、その検索ワードを見て驚きました。「不二家歌謡ベストテン」を、お調べになられていたのです。ラジオチャート番組に、ご興味をお持ちの高級官僚の方がいると解っただけで、私は 嬉しく思います。では遅ればせながら、不二家歌謡ベストテンを、私のリスナー経験から知っている限り、詳しく説明させて頂きます。

 不二家歌謡ベストテンは、JOLFニッポン放送で日曜朝 9時に放送されていた、最も人気がある邦楽ラジオチャート番組でした。放送時間差をおいて、名古屋のSF東海ラジオ放送・大阪のABC朝日放送でもネット。放送開始が、1966年12月と、まだオリコンが創業する前から、不二家歌謡ベストテンは、歌謡曲の正確なヒットチャートを毎週発表していました。

 聴取率は、最盛期に 20%を超え、在京局トップの人気番組でした。テレビ全盛の時代になっても首都圏の日曜の朝は、この番組を聴きながら朝食をとったり、目覚まし代わりで起き出す習慣が広がっていたほどです。そして他局を含めて前後の番組でも、ヒットチャート番組が放送され、日曜朝の時間帯が 最新ヒット曲を聴くゾーンへと開発されていったきっかけとなったのです。

 不二家歌謡ベストテンは、リクエスト・レコード売上・有線放送・ジュークボックスの人気などを基に、ニッポン放送音楽委員会が、毎週の順位を決定します。順位は 原則として、20位まで発表していました。ジュークボックスの人気まで集計していたのは、この番組だけです。LFニッポン放送では、7位より上位曲を、ほぼフルコーラスでオンエアーしていました。

 そして最終の順位決定権が 「ニッポン放送音楽委員会」にあると公開していた事は、重要な仕組みを構成しています。人気番組の権威ある順位のため、番組プロデューサーなどへレコード会社やプロダクションから直接圧力がかからない様に、順位決定に関する責任の所在を分散していたのです。委員会の合議にすれば、誰が順位を決めたと問われなくなるからです。

 リクエストは、1社提供である不二家のチョコレートの空き箱に書いて送っても可。そうするとプレゼントがグレードアップする斬新なシステムでした(笑) 。またベスト3予想の「順位ファン予想投票」も毎週実施。私は 1回だけ当選した事があり、当選賞品の番組特製のトレーナーが、LFニッポン放送ではなく、東京の大手デパートから直送されてきたのを覚えています。

 6月最終週には「上半期ベストテン」12月最終週に「下半期ベストテン」さらに翌年 1月第1週に「年間ベストテン」を きちんと発表します。この下半期ベストテンを発表していたのは、全国のラジオヒットチャート番組でも、不二家歌謡ベストテンだけでした。毎週のベスト 20に独自の配点をし、同点の場合は 同順位とするほど、純粋に集計・決定していました。

 その年間・上半期・下半期ベストテンの集計得点の配点は、番組できちんと公開されていたのです。毎週発表したベスト 20に対して、20位が 1点、19位が 2点と、11位まで 1点刻み。10位は 12点と、ここから 2点刻みとなり、6位が 20点。5位は 23点と、さらに 3点刻みとなり、4位・26点、3位・29点、2位・32点 そして 1位が 35点です。

 ちなみに 1時間前に放送されていたTBSラジオ「森田公一の青春ベストテン」の年間ベストテンの配点は、20位 1点からオール1点刻みで 1位が 20点でした。ですから 不二家歌謡ベストテンの上位加重の配点方式は、実に独特なもので、下位長期ランクイン曲が必要以上に有利となる年間チャートの構造欠陥を、当初から理解していた事を物語っています。

 この公開された配点と、毎週きちんと欠かさずノートにつけていた順位記録から、事前に 上半期・下半期 そして 年間ベストテンの順位を、正確に予想してしまうコアなリスナーが多く存在しました。上半期・下半期・年間ベストテンの順位ファン予想投票は、いつも正解者数が 10名を超えていたものです。この人達こそ、不二家歌謡ベストテンの真のファン リスナーでした。

 私は、不二家歌謡ベストテンの 10周年記念特番も聴いた思い出があります。確か土曜日 夕方に 特別番組としての放送でした。前述の配点方式による総集計で、10年間トータルのベスト 50を発表。1位は、千昌夫「星影のワルツ」でした。この時 返信用切手を番組に送って、不二家歌謡ベストテン 10周年記念のランキング資料を貰った記憶も残っています。

 この番組は 長い間、ロイ・ジェームス 氏が担当。日本人より流暢な日本語を話す放送タレントでした。特に番組途中のミニコーナー「ロイ・ジェームスの歌謡メモ」は、何か問題のある人気歌手がいると、その問題を取り上げ徹底的に批判。非常に辛口の芸能コラムを放送していました。このコーナーがあってこそ、リスナーは 発表される順位に信憑性を感じていたのです。

 ロイ・ジェームス 氏は、咽頭癌のため 53才の若さで お亡くなりになる最晩年まで担当し、その間ずっと番組は、首都圏ラジオ聴取率 1位をマークしていました。「不二家歌謡ベストテン」こそ、我が国 邦楽ラジオチャート番組の最高峰だと思っています。今回のアクセス記録は、記念に保存しておきます。首相官邸からのアクセス、誠に ありがとう ございました。


ブログ開始は 2003年です。

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