FM長野・NHK-FM リスナーである ラジオネーム:チャート★ドランカーの個人ブログです。
私の 週間選曲リスト と 週間放送視聴日記 を 公開・保存しています。

第789回ランキング

   
  1. 第 1 位 ( ⇒ )
    Ms.OOJA “Be Myself”
    中部電力 テレビCMソング
  2. 第 2 位 ( △ )
    NBS 関テレ・ドラマ「シグナル ~ 長期未解決事件捜査班」劇中効果音楽 [林ゆうき・橘麻美]
  3. 第 3 位 ( ▽ )
    NHK総合・大河ドラマ「西郷どん」テーマ音楽 [富貴晴美]
  4. 第 4 位 ( ⇒ )
    WELLA テレビCMソング [syn]
  5. 第 5 位 ( ★ )
    abn テレ朝・ドラマ「特捜9」劇中効果音楽 [吉川清之]
    ♪ 9係劇伴との比較から緩い感じを受けましたが、先週あたりから締まった劇伴も流れています。

 最近では、日曜日に早起きする習慣が全くなくなり(笑)日曜日は、昼近くまで寝ている感じになっています。すっかり朝寝坊の習慣がついた日曜日ですが、チャートマニアだった学生時代は、だいたい朝 8時前に目が覚めていました。日曜日の午前中に、ラジオのヒットチャート番組が集中していたからです。今考えると、ある意味 お仕事みたいなものです(笑)。

 当時のLFニッポン放送は、日曜午前 9時から「不二家歌謡ベストテン」という超人気番組を放送していました。TBS東京放送も、真裏にヒットチャート番組を編成しましたが、不二家歌謡ベストテン には、太刀打ちできません。そこで 先にチャートを発表してしまおうと始めたのが、久米宏 アナ・小島一慶 アナが担当した「TBS今週のベストテン」でした。

 朝 8時05分からのスタートです。洋楽・邦楽両方のベスト20から、サイコロを振ってオンエアー曲を決めるというユニークなシステムでした(笑)。その後「TBS今週のポップスベストテン」と「今週の歌謡曲ベストテン」へ分離し、さらに邦楽チャートが「ラジオリクエスト大賞 森田公一の青春ベストテン」として、1977年 4月に改めてスタートしたのです。

 パーソナリテイーには、当時人気作曲家だった森田公一 氏を新たに迎え、そして前々番組から小島一慶 アナが、アシスタントに戻り、毎週邦楽のベスト20を発表していました。テーマ音楽からジングルに至るまで、森田公一ピアノソロのオリジナル曲で、休日早朝の雰囲気にマッチする、実に独特なスタイルでした。なんと 12年続く人気番組にまで成長します。

 順位の決め方は、番組タイトルにもある通り、リクエスト葉書の枚数が基本で、そこにHBC北海道放送、MBS毎日放送、RKB毎日放送などからのデータを加味する仕組みです。HBCのデータは、ベストテンほっかいどうの週間ランキングを使っていました。従って森田公一の青春ベストテンは、リクエスト重視のため、人気歌手新曲の順位の動きが早い傾向もありました。

 森田公一の青春ベストテンは、生放送だったのか? 未だに謎が残ります。私は、一部回を除いて事前収録だったと思っています。但し収録は、8時05分開始に合わせて、CMも入れながら 53分間程度を止めずに流し録りをする、疑似生放送(笑)の様な収録だったのかと思われます。この推測は、番組を聴いていると、端々のニュアンスで少しずつ証明されてくるのです。

 例えばベストテン発表時に、小島一慶 アナが、1回 時刻告知をするのですが、時計の針は 8時18分に向かっていますとか、まもなく 8時20分になりますとか、実に微妙なアナウンスをしてました(笑)。また今日の東京地方の天気や緊急ニュースにも、明確な生放送の時以外は 一切触れません。とにかく森田公一 氏 と 小島一慶 アナは、日曜の朝を演出していたのです。

 番組には 森田公一コーナーがあり、テーマを決めた曲特集や 最新曲を紹介して、森田公一 氏がスタジオに常置してあるピアノを弾きながら解説をします。作曲家による順位解説は、FM東京・コーセー歌謡ベストテンの宮川泰 氏に定評がありましたが、それを一歩進化させたコーナーでした。その 1985年 1月の森田公一コーナーには、強烈な記憶が残っているのです。

 その時は「卒業」というタイトルの曲が、菊池桃子、斉藤由貴、そして尾崎豊と 3曲リリースされ、それらを森田公一コーナーで取り上げましたが、温厚な森田公一 氏が、その中の尾崎豊「卒業」を痛烈に批判したのです。この様な詞を楽曲で表現するな とまで言い切り、口調は穏やかでしたが、類例のない批判でした。小島一慶 アナは、返事に窮していたのを覚えています。

 自らもトップギャランというバンドを率いて、大ヒット曲「青春時代」を輩出した、流行作曲家である森田公一 氏が考察すると、尾崎豊の音楽性は、全くの正反対で受け入れ難いものだったのかも知れません。その後の尾崎豊「卒業」ロングヒットという展開も相まって、青春ベストテンを思い出す時、あの日の森田公一コーナーが、強烈な記憶として甦ってきます。

 森田公一の青春ベストテンでは、12月最終週に年間ベストテンを発表していました。順位決定方法は 至ってシンプルで、毎週のベスト20に 1位 20点、2位 19点と1点刻みで、20位 1点まで配点・集計します。同点は 同順位と発表してました。ただ番組が末期になると、12月第1週頃の視聴率調査週間に、年間ベストテンを発表してしまう事もありました(笑)。

 毎週のランキング発表は、小島一慶 アナがデータを読み上げ、歌手演奏者名・曲目は 森田公一氏が発表し、曲のイントロに繋げるスタイルです。小島一慶 アナは、他にはない先々週の順位から紹介する場合もあり、独特のリズムでデータ紹介をしてました。このリズムは、小島 アナが単独で担当していた、TBS今週のポップスベストテンで、さらに磨きがかかります(笑)。

 またベスト3予想クイズがあるのは、不二家歌謡ベストテンと同じですが、全く独創で類例がなかったのは、綺麗に印刷された「月間ランク表」を発行するサービスでした。前述の年間ベストテン集計方法で、月間の順位を決め、1ヵ月間のベスト20+α を全曲掲載してあります。リスナーへのサービスが、ここまで充実しているラジオ番組は、在京局の中でも稀有でした。

 TBSラジオは、1960年代から、ランキング資料の印刷 と 配布を続けていた伝統があったのです。私も月間ランク表を貰った事がありますが、長期保存が可能な上質紙による綺麗な印刷物で、綴じ穴や月間ベストテン曲の索引までヘッダについている素晴らしいチャート資料でした。この月間ランク表を、返信用切手を送ってきたリスナー全員に送付していました。

 エンディングでは、森田公一 氏 と 小島一慶 アナ個々の予定を紹介して、日曜日の演出を貫いていきます(笑)。そして 9時からのTBSラジオは、洋楽のオールディーズを紹介する、ISETAN ヒット・オン・サンデーと続きます。ところが多くのリスナーは、LFニッポン放送へダイヤルを回してしまい、違った順位を出す不二家歌謡ベストテンを聴いていたのです。


ブログ開始は 2003年です。

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